黒部市 鉄道物語

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5.黒部鉄道石田港線(昭和5年)

黒部市にはかつて、昭和5年4月に開業した石田港線(いしだこうせん)がありました。(三日市・石田港間の1.7km)。石田港線は今のJR黒部駅の海側(西側)から堀切地内を通り、四十五石用水沿いを黒部学園前に至り、左折して石田浜海水浴場へ至る鉄道でした。途中には、「堀切口」「生地口」の2駅が設置され、生地方面から「生地口」まで歩いてきて、石田港線の電車に乗った人も少なくありませんでした。

この石田港線が開業した夏、黒部鉄道は、沿線リゾート開発の一環として、石田浜海水浴場を今の県立黒部学園付近から現在の場所へ移動させたうえ、整備拡充しました。周辺には新しく浜茶屋が開設されました。石田港駅は石田市街地の中央部にあったこで、通勤・通学客や海水浴客などが多く利用していました

石田地区には、江戸時代、加賀藩の年貢米(ねんぐまい)を保管する蔵が置かれ、蔵米の積出港として重要な役割を果たし、明治時代に入っても、北海道や樺太(からふと)との交易により、汽船などが多くやってきて、石田港からは米やむしろなどの藁(わら)製品が移出され、北海道方面からは農業用の魚肥料が移入されていました。

このようなことから、石田港線は、海水浴場のリゾート開発だけではなく、黒部地域と北海道などとの交易の拡大を見込んで敷設された鉄道であったといえます。

石田港駅の駅舎の中には、むしろなどの藁製品が集積され、その上にのって遊ぶ子供の姿もありました。又、石田港線の電車はワンマン運転されていて、その運転も石田港駅の駅長さんが担当し、途中の「生地口」「堀切口」駅に乗客がいない場合、通過していたとのことです。 

その後、昭和11年、魚津から延伸(えんしん)された富山電気鉄道が電鉄黒部駅の前身「西三日市駅」まで開通すると、乗客が西三日市駅へ集まるようになり、石田港線は衰退していきました。又、堀切地内では、石田港線と富山電気鉄道線が平面的に交わり、電車の運行上とても危険であったので、黒部鉄道と富山電気鉄道とが話し合い、昭和15年5月31日、石田港線は廃止されました。

石田港線がなくなった今も、黒部鉄道によって整備された石田浜海水浴場には県内外から毎年多くの海水浴客が訪れ、石田港線があった昔と同様に人々で賑(にぎ)わっています。

石田港駅の駅舎

写真:黒部市立図書館宇奈月館所蔵