大正12年11月、三日市駅から桃原(ももはら)駅(現在の宇奈月温泉駅)まで全長17.2km全線が開通したことで、宇奈月温泉が開湯し、黒部峡谷(きょうこく)の電源開発がはじまりました。
これに伴って、鉄道の拠点となる三日市周辺も大変にぎわいました。大正15年に発行された「我(わ)が三日市町」では、完成した黒部鉄道や開拓中の宇奈月温泉について、次のように詳細に紹介されています。
『黒部峡谷の開発を使命として生まれた黒部鉄道は、大正2年秋、三日市町を基点として北陸線三日市駅より黒部峡谷の玄関・宇奈月台に至る間、電車が開通した。それ以来、貨物の集散や旅客の乗降が急速に増えており、三日市町の発展が今後大いに期待できる。』この文章から、黒部鉄道の開通により三日市が賑わい、さらに街が大きく発展するよう期待が込められていることが分かります。
又、開拓中の宇奈月については、次のように宣伝されています。『宇奈月台におよそ3万坪の土地がある。黒部川沿いの高台にあり、風光明媚(ふうこうめいび)である。黒部鉄道の開通以来、乗客や荷物の輸送が便利になり、別荘や住宅地として最適な場所となった。』
さらに、宇奈月温泉街の急速な発展ぶりについてはこう述べられています。『広い高原に豊富で清らかな温泉を引き、莫大(ばくだい)な資本を投じて造成した大地を宇奈月温泉と名づけた。開湯後、いまだ3年しか経っていないが、旅館、料理店、劇場等の娯楽施設をはじめ、銀行、郵便局、病院等の機関や売店等は、既に150件に上り、無人だった宇奈月台は、今や一変して都会のようである。』
黒部鉄道の開業後、数年間の間に大温泉街が形成され、その短期間の発展ぶりは、当時大変な驚きをもって見られていました。
写真:黒部市立図書館宇奈月館所蔵