黒部鉄道とは、今の富山地方鉄道の宇奈月温泉駅から電鉄黒部駅の間の部分と、昭和44年に廃止された電鉄黒部駅・JR黒部駅の間の部分をあわせた鉄道のことでした。大正時代末期、東洋アルミナムという東京の会社がアルミニウム精錬(せいれん)のために黒部川の電源開発をしようとし、その発電所建設資材の運搬路線として計画されましたが、開通時には、沿線住民の強い要望や宇奈月温泉や黒部峡谷などの観光開発をするために、旅客・貨物兼用鉄道とされました。
大正10年12月、黒部鉄道株式会社という会社が設立され、翌年大正11年8月、国鉄三日市駅(現在のJR黒部駅)と下立駅の10.1km間で鉄道の建設工事が開始され、大正11年11月1日、当時の先端技術を利用した電車架線(かせん)などからなる新川地域初の電気鉄道が完成しました。沿線各村で仮装行列が行われるなど開通セレモニーが盛大に行われたそうです。
その後、下立から先、黒部川上流部の「下立・桃原(ももはら)駅」の7.1km間の建設工事が始まりました。桃原駅と言うのは、現在の富山地方鉄道「宇奈月温泉駅」のことです。
そして大正12年11月21日、下立・桃原駅間の7.1km間が開通し、三日市駅から桃原駅に至る全長17.2km全線が開通しました。又、大正12年12月には、黒部峡谷で初の発電所となる弥太蔵(やたぞう)発電所が今の宇奈月温泉街の対岸に完成し、黒部鉄道を走る電車や宇奈月温泉街へ電気を供給するようになりました。
さらに、黒部鉄道は、鉄道事業を行うかたわらで、黒薙(くろなぎ)などの温泉開発、旅館・別荘地の分譲、テニスコート・プール・スキー場などの宇奈月のリゾート開発、石田港線(いしだこうせん)の敷設による石田浜海水浴場の整備を進めました。そのため、電車に乗る乗客や運ぶ荷物が増え、営業成績はとても良かったそうです。昭和時代に入った頃も、黒部川の水力発電工事の進展や宇奈月温泉街の成長により、行政からの補助金を受けることはなく、安定した経営が続けられました。
黒部鉄道三日市車庫
(現在のJR黒部駅前にあった)
黒部鉄道の電車内の様子
写真協力:富山地方鉄道株式会社